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舞踏組曲 (バルトーク) : ミニ英和和英辞書
舞踏組曲 (バルトーク)[ぶとうくみきょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まい]
 【名詞】 1. dancing 2. dance 
舞踏 : [ぶとう]
  1. (n,vs) dancing 
: [くみ]
 【名詞】 1. class 2. group 3. team 4. set 
組曲 : [くみきょく]
 【名詞】 1. musical suite 2. musical selection 
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

舞踏組曲 (バルトーク) : ウィキペディア日本語版
舞踏組曲 (バルトーク)[ぶとうくみきょく]

舞踏組曲』(ぶとうくみきょく)Sz.77は、バルトーク・ベーラ1923年に作曲した管弦楽曲。同年に行われたブダペスト市成立50周年記念音楽祭のために作曲された。
*原語曲名:''Táncszvit''(ハンガリー語) ''Tanz-suite''(ドイツ語) ''Dance Suite''(英語)
*演奏時間:約16 - 17分
*作曲時期:総譜のバルトーク自身の書き込みによれば、1923年8月に完成。
*初演:1923年11月19日ブダペストにて、エルンスト・フォン・ドホナーニ指揮による。
==作曲の経緯 ==
1923年の夏、ブダペスト市が同年の市成立50周年記念音楽祭のために、当時のハンガリー音楽界を代表するドホナーニ、コダーイ、そしてバルトークの3人に対し新作を書いて欲しい、と言う依頼を行ったことが作曲のきっかけである。この依頼に応えたバルトークは作曲活動に手間取っていた『中国の不思議な役人』を一旦棚上げし、その夏を費やして「管弦楽のための組曲」という自身のキャリア初期に手がけて以来遠ざかっていた形式で作品を作り上げた。そのため、オーケストラの書法には『中国の不思議な役人』と共通の部分が垣間見える。
祝祭向けということで華やかな部分も多く、更にハンガリー風の旋律以外にもルーマニア風、アラブ風などの民族的な色彩に彩られている。ただし主題は民謡などではなくすべてバルトークの自作で、民俗音楽研究と当時の「現代音楽」の特徴が渾然一体化しているなど、民謡の語法を消化して独自のスタイルをほぼ確立した時期の作品であることもうかがわせる。またバルトークは1931年にルーマニアの音楽学者オクタヴィアン・ベウに送った手紙の中で、この曲にはハンガリーとその周辺諸国民の連帯という意図を込めて作曲したのだと語っている。
初演を指揮したドホナーニ自身の『祝典序曲』、コダーイの『ハンガリー詩篇』とともに初演されたこの曲は好評で迎えられ、初演から1年半後の1925年5月19日にはプラハの音楽祭でヴァーツラフ・ターリヒ指揮のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏されて絶賛を受け、ヨーロッパ中でその後1年間に50回も演奏されたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「舞踏組曲 (バルトーク)」の詳細全文を読む




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